夏の黒いアート マーク・ロスコ

夏の黒いアート マーク・ロスコ

夏の夜にぴったりな企画展が、パルコで開催されるそうです。
その名も「ゾッ展~実話怪談とその物証~」。
タイトルからしてちょっと怖い……でも、見に行ってみたい……。
そんな「こわいけどチラ見したい」気持ち、わかります。

実は私、子供の頃から暗闇が大の苦手。
お化け屋敷も、ホラー映画も、基本はスルーしてきました。
でもなぜか、「ちょっとだけ見てみたい」と思ってしまう。
それが、怖いものの不思議な魅力です。

アートの世界にも、暗闇を感じる作品はたくさんあります。
むしろ普段あまり絵画に親しみのない方にとっては、名画のもつ“静かで動かない世界”に、どこか閉じた怖さを感じる方もいるかもしれません。

たとえば、黒を帯びた不気味な絵といえば——
フランシス・ベーコンの作品。ゆがんだ顔、塗りつぶされた肉体、不穏な色彩。
あるいは、エドヴァルド・ムンクの『叫び』。背景の空の色や、人物の形がリアルではない分、見る人の心の中の不安や焦りをそのまま映し出すような作品です。

黒がもつ感情——それは、沈黙であり、言葉にできない不安であり、語られなかった何かの痕跡です。
そしてこの「黒」は、時代とともにその意味や居場所を少しずつ変えてきました。

中世ヨーロッパにおいて、アートの中の闇は「天井の向こう」にありました。
それは祈りの先、神のいる場所。
人々はそこに声を届けようとしながら、照らされた光と、決して届かない距離に不安を感じていた——一方通行の距離。
それが当時の「黒」だったのかもしれません。

ルネサンス以降、地動説が唱えられ、神が人間の中心ではなくなったとき、
黒は「隣にいる人間」の中に降りてきます。
シェイクスピアが描いたのは、人間の嫉妬、裏切り、復讐。
誰かとの関係に潜む心の闇が、物語の中心になりました。

近代——19世紀末から20世紀初頭。
科学も芸術も発展し、あらゆるものが説明されるようになった時代。
それでも、心の奥に残る不安や空白を、私たちは無視できなくなります。
ムンクの『叫び』は、まさに情報時代の入口で迷い、「自分の中の黒」と向き合った、その瞬間の風景でした。

では、現代はどうでしょうか。
誰もが制作者であり、受け手でもある時代。
私たちは本当に誰かとつながっているのか。
それとも、つながっている“ふり”をしているだけなのか。
デジタルの海に日々言葉を投げかけながら、その声がどこへ届いているのか、わからないままスクロールし続ける日々。
現代アートの「黒」は、誰の声も聞こえない電源を切ったあとの画面の静けさなのかもしれません。

もし、アートのなかにある不気味な黒が、時代を映す鏡だとするなら、
私はもう少し、それを見つめてみたいと思います。
それはきっと、未来を映す鏡でもあるからです。

今月も、店内にはさまざまな新作アートが入荷しています。
「美しい」だけではなく、「ちょっとざわっとするような作品」にも、ぜひ目を向けてみてください。
もしかしたら、あなたの心のどこかにそっと寄り添ってくれる一枚に出会えるかもしれません。

本日ご紹介のアートは、1950年代のマーク・ロスコ《Black on Maroon》。
ムンクが『叫び』で“内なる不安”を描いてから、およそ50年。
このロスコの作品は、誰かの「叫び」を受け取ることも、声を上げることもない、沈黙の黒です。

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